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    • 2018.04.22 Sunday
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    愛宕神社  その2

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      かの有名な出世の石段を登りきると、そこには今までの都会の雰囲気とは、全く違った世界が広がっています。


      愛宕神社1



      正面の門の前にあるのは、茅の輪(ちのわ)です。


      この茅の輪は、元々は罪や穢れ(けがれ)をお祓いするために使われるものです。


      これをくぐることにより、罪穢れがはらわれると言われております。


      実物を、見たのは初めてだったので、とっても嬉しかったです!!




      言うのが遅れてしまったのですが、愛宕神社は、徳川家康公命により作られました。


      「この紋所が目に入らぬか!!」


      茅の輪が置かれていた扉には、葵の御紋が!!



      愛宕神社4



      朱色の扉に、葵の御紋、とっても目立っていました!!




      そして、ついに社殿が見えてきました。



      愛宕神社3


      木々に覆われていて、とても気持ちの良い社殿です。


      色々な所に、葵のご紋があり、とてもすごいです!!



      愛宕神社2


      社殿の前には、「招き石」と言う石がありました。


      いっぱい福を頂いてきました!!


      横には、摂社があります。



      愛宕神社5



      ちょうど、境内に咲いているアジサイが綺麗だったので、一緒にとって見ました。


      時間を忘れさせてくれる、とってもリラックスできる神社でした。




      最後に、ここ愛宕神社は、歴史的にもう1つ有名なことがありました。


      それは、万延元年3月3日に起こりました。


      18人の水戸藩士がこの愛宕神社に集まり、成功を祈願して参拝しました。


      そして、桜田門外で大老の井伊直弼を襲撃したのです。


      そうなんです、この愛宕神社は、桜田門外の変の始まりの場所とも言ってよい場所なのです。




      色々な歴史深い事実が、この神社から生まれました。


      そんな愛宕神社に、ぜひ、参拝してみてはいかがでしょうか??



      愛宕神社 御朱印





      JUGEMテーマ:神社仏閣

      愛宕神社  その1

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        主祭神  火産霊命(ほむすびのみこと)



        愛宕神社(あたごじんじゃ)は、小高い山の上にあります。


        この山は、愛宕山と言われていて、自然に出来た山です。


        こんなところに、自然に出来た山がぽつんとあるのも、とっても珍しいですね。


        そんな愛宕山、東京23区最高峰(25.7m)だが、東京都で最も低い山なんです(^^;




        江戸時代には、この愛宕山から、江戸城や江戸の町並みが見渡せたそうです。


        勝海舟と西郷隆盛は、この愛宕山の上で江戸の町を見渡し、「この江戸の町を焼き野原にするのは忍びない」と言ったと言います。

        そして、その後すぐに、江戸城無血開城への調印が2人によってなされた話はとても有名です。


        今は、周りをビルに囲まれてしまっていますが、そんな昔の風景を想像しながら行くのも良いかも知れません。




        さて、正面に着きました。


        まずは、コマちゃんがお出迎えしてくれます。



        愛宕神社6愛宕神社7



        身体のラインなんかは、本当に生きているみたいですね!!


        まるで、今にも歩き出しそうです・・・・。


        本当に、立派なコマちゃんです!!




        そして、このコマちゃんを見る頃には、これから起こる恐ろしい自体を、あなたは目にすることになっています(笑)


        その恐ろしいこととは、「男坂(出世の石段)」です。


        愛宕神社8



        高低差20メートルの86段の坂がお出迎えです!!


        お年寄りの女性が、この坂を一生懸命下りていたのですが、急な坂なので、見ている方がヒヤヒヤしてしまいました。


        結構急なので、ご心配な方は、手すりを使ってくださいね!!


        この坂には、講談で有名な「寛永三馬術」の曲垣平九朗(まがりがきへいくろう)のお話があります。


        以下、愛宕神社のホームページより抜粋****


        江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。


        折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。


        家光公は、その梅を目にされ、


        「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」


        と命ぜられました。


        しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。


        下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。


        家臣たちは、みな一様に下を向いております。


        家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。


        もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。


        家光公。その者の顔に見覚えがありません。


        「あの者は誰だ」


        近習の臣に知る者はありません。


        「おそれながら」


        「おう」


        「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」


        「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」


        平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。


        平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと
        伝えられております。


        この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。


        ここまで****



        この坂を登ってきたので、きっと私も出世間違いないかな(笑)


        次回は、ついに境内に参ります。



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